地球環境に対して影響のある人間活動のなかで、企業活動は最大のものであるといっても過言ではないでしょう。環境問題が「待ったなし」のところまできているのは、ほぼ共通の認識になりつつあります。そうした危機意識を土台に、これからの企業のあり方を、根本的に考え直そうというのがCSR経営(社会的責任経営)ということが叫ばれ始めた背景にあります。これからの企業の存在価値は、単に経済的価値を実現するだけでは充分でなく、人々の生活の助けになるような環境問題に対応できるような存在でなければ明日はないという考え方です。
こうしたCSR経営論は、さも今始まったかのような言われ方をしていますが、とんでもないことです。日本には、江戸時代から近江商人によって「三方よし」、つまり「売り手よし。買い手よし、世間よし」の取引精神こそ商売繁昌のもとであり、家業永続の基本であると伝えられてきた理念があります。この理念の最大の特徴は、単に「売り手よし、買い手よし」という取引の当事者だけでなく、周囲の世間にも配慮した取引を重視した「世間よし」ということを取り入れていることであります。
この「世間よし」は、現代では環境問題への対応を意味していると受け止められるのであり、企業は社会的責任を果たさねばならないということを言っているのと同じであります。その意味では、近江商人の「三方よし」経営は、現代CSR経営の日本的源流といえるのであります。
企業活動のもとになる資源はすべて、地球から取り出してきたものであります。原料の木火水土金はすべて自然の恵みであり、人間はそれを加工しているに過ぎないのです。何かを生産するには、熱帯雨林の伐採であったり大地の掘削であったりという行為が必ずついてまわります。それなのに大量生産大量消費の社会を築いてしまった。そのツケが現在の地球環境問題となって跳ね返ってきたのです。
なぜ大量生産大量消費が可能であったかといえば、生態系破壊、自然破壊に対するコストを負担してこなかったからであるともいえます。大量生産大量消費では必ず物を無駄に使い捨てます。そうしなければ回転しないからです。また、無駄にできるのは、一つの商品が何を原料に作られ、どういう流通によって商品になっているかというプロセスを把握していないからです。物を使用する時、生産と流通の過程をかえりみることもなく、ただその商品の値段に関心がいっているだけです。
若者の大半は、石炭を見たことも触ったこともありません。ボタンを押せば風呂は沸くと思っているのです。風呂を焚くということ自体が分らなくなっているのです。地球環境問題は、1企業の1家庭の、1国だけの問題ではありません。全地球規模の問題であります。だからこそ、物が手に入るプロセスを教える教育が大事なのです。そうした危機意識をもった経営者の変化があって、従業員が代わり、顧客満足を自主的に実践する従業員に成長していくのです。「三方よし」が、最初に「売り手よし」経営者と従業員のことを挙げているのは理由のあることだと思います。(未完)
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