2012年6月5日火曜日


山中兵右衛門家の承継と奉公人



近江国蒲生郡日野町大窪の山中兵右衛門家を興したのは、貞享2年(1685)生まれの初代兵右衛門です。実家は日野椀の塗物師の家であり、初代は33女の末っ子でした。

家業を継いだ商才に乏しい兄は倒産し、先祖伝来の居宅も手放すことになりました。この実家倒産の悲運に遭ったことが、初代を行商による失地回復へと向かわせるバネになったのです。宝永元年(170420歳の時、姉の婚家へ家運挽回の胸中を打ち明け、その支援を得ることに成功した初代は、婚家から日野椀2駄を借り受け、東国へ旅立つことによって商いの世界へ飛び込んだのです。

初代は駿河国沼津の旅籠屋伊勢屋善兵衛方を根拠地にして商いに励みました。善兵衛は初代の人柄を認めて、小田原藩領であった御厨郷(現・御殿場)での営業を勧めました。当時の御厨郷は、箱根関所の北方にあたり、沼津・三嶋から甲斐の郡内へ通じる岐路に位置する宿場町でした。

以来14年間にわたって、往路では日野椀を売り、復路では御厨郷の産物を仕入れて売る持下り商いに従事しました。仕入れ金を借りて商売を始めた初代は、経費を可能な限り節約する必要があったのです。ある時は茶店の代わりに辻の堂を利用し、喉の渇きを谷水で癒したと伝えられています。また旅費に窮した場合は、昼食の代わりに路傍の畑の大根を所望して空腹を満たしたことさえあったと伝えられています。

努力は実って、享保3年(1718)に御厨郷御殿場村に日野屋と称する初めての店舗を開くことができました。取扱い商品は、食料品から小間物や日用品であり、万屋的商法によって、わずかな利益を積み重ねていきました。初代は寛保年間(174143)に人手に渡った居宅を買い戻し、延享2年(1745)に家督を長男の二代目兵右衛門に譲って隠居しました。没年は安永3年(1774)、享年90

二代目兵右衛門は、享保10年(1725)に生まれました。御殿場店は隆盛となり、近隣の村々と卸・小売りの方法を巡って争いを惹き起こすほどに成長し、明和7年(1770)には沼津店を新設しました。安永6年(17770)に三代目に家督を譲って隠居し、文化2年(1805)に81歳で没した二代目は、著名な家訓を制定しています。78歳となった享和2年(1802)に作られた、10カ条からなる「慎」です。

この家訓の特徴は、半分の5カ条が商いの手法について説かれていることでしょう。不実の商いを慎むことを求めた5カ条の内容は以下の通りです。



・店の仕入品は、よく吟味し、確実な品質の品を売買すること。不正な品や粗末な商品を取り扱ってはならない。また一挙に高利を望んではならない。

・得意先に対しては、誠心誠意をもって確実な商品を届けること

・子供などは小さな得意先だからこそ、却ってこれを大事に扱うこと

・外見の見てくればかりを飾るような派手な商いは不要であり、堅実な商いを心掛けること

・市価の変動を見越して実物の受け渡しをしないで決済したり、思惑取引したりなどは、全く無用な仕法である



二代目の長男の三代目は、宝暦8年(1758)に出生しました。家督相続後は積極経営を進め、御殿場の近傍に2店の酒造店を開いています。また、御殿場出店100周年を記念して、小田原藩へ50両上納して2人扶持を与えられました。50歳で中風を発病したが、後継者の息子が幼かったため、当主の地位に座り続けざるを得ませんでした。没年は文政8年(1825)、享年68

 これまで順調であった山中家の承継に問題が生じるのは四代目からです。四代目は文化2年(1805)に生まれ、3人の兄が夭折したため、21歳で家督を相続しました。商家の当主としての十分な訓練と経験を積むことなく、14000両余の純資産を相続することになった四代目は家業に身を入れなかったのです。そのため、相続後間もない文政12年に、店支配人を始めとする奉公人一同から厳しい弾劾を含む「恐れながら申し上げ奉り候」という要望書を受け取る羽目になりました。

 爪印を押した要望書の中身は、当主が家業に一向に精励しないので案じていたところ、さらに家の利害にかかわるような不埒の身持ちが明らかとなった、この上は、周囲の忠告を聴き入れて改心してもらうならば店一同安心するが、聞き入れられなければ奉公を続けられないので、奉公人全員退店の覚悟である、よって要望を受け入れてもらいたいというものでした。

 四代目は全面的に要望を受け入れ、誓約書を作成しました。しかし四代目は、当主の自覚に乏しい所業を繰り返したのです。以後、山中家は幼弱な当主が続き、家督相続は三代にわたって齟齬をきたしました。山中家が明治中期に立ち直るまで家業を維持できたのは、出店収益の25%を奉公人に配分する主法制度の導入などによる、主家と奉公人の間柄が所有と経営の分離関係にあったからであるといえるでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿