2013年9月2日月曜日

地球環境問題と現代における「三方よし」経営

地球環境に対して影響のある人間活動のなかで、企業活動は最大のものであるといっても過言ではないでしょう。環境問題が「待ったなし」のところまできているのは、ほぼ共通の認識になりつつあります。そうした危機意識を土台に、これからの企業のあり方を、根本的に考え直そうというのがCSR経営(社会的責任経営)ということが叫ばれ始めた背景にあります。これからの企業の存在価値は、単に経済的価値を実現するだけでは充分でなく、人々の生活の助けになるような環境問題に対応できるような存在でなければ明日はないという考え方です。

こうしたCSR経営論は、さも今始まったかのような言われ方をしていますが、とんでもないことです。日本には、江戸時代から近江商人によって「三方よし」、つまり「売り手よし。買い手よし、世間よし」の取引精神こそ商売繁昌のもとであり、家業永続の基本であると伝えられてきた理念があります。この理念の最大の特徴は、単に「売り手よし、買い手よし」という取引の当事者だけでなく、周囲の世間にも配慮した取引を重視した「世間よし」ということを取り入れていることであります。

この「世間よし」は、現代では環境問題への対応を意味していると受け止められるのであり、企業は社会的責任を果たさねばならないということを言っているのと同じであります。その意味では、近江商人の「三方よし」経営は、現代CSR経営の日本的源流といえるのであります。

企業活動のもとになる資源はすべて、地球から取り出してきたものであります。原料の木火水土金はすべて自然の恵みであり、人間はそれを加工しているに過ぎないのです。何かを生産するには、熱帯雨林の伐採であったり大地の掘削であったりという行為が必ずついてまわります。それなのに大量生産大量消費の社会を築いてしまった。そのツケが現在の地球環境問題となって跳ね返ってきたのです。

なぜ大量生産大量消費が可能であったかといえば、生態系破壊、自然破壊に対するコストを負担してこなかったからであるともいえます。大量生産大量消費では必ず物を無駄に使い捨てます。そうしなければ回転しないからです。また、無駄にできるのは、一つの商品が何を原料に作られ、どういう流通によって商品になっているかというプロセスを把握していないからです。物を使用する時、生産と流通の過程をかえりみることもなく、ただその商品の値段に関心がいっているだけです。

若者の大半は、石炭を見たことも触ったこともありません。ボタンを押せば風呂は沸くと思っているのです。風呂を焚くということ自体が分らなくなっているのです。地球環境問題は、1企業の1家庭の、1国だけの問題ではありません。全地球規模の問題であります。だからこそ、物が手に入るプロセスを教える教育が大事なのです。そうした危機意識をもった経営者の変化があって、従業員が代わり、顧客満足を自主的に実践する従業員に成長していくのです。「三方よし」が、最初に「売り手よし」経営者と従業員のことを挙げているのは理由のあることだと思います。(未完)

2013年6月13日木曜日

定年退職記念メッセージ:教壇と礼節


経済学部の父母会から、定年退職記念のメッセージを求められた。このような場合、通常は父母会との関わりや思い出を綴るのであろうが、3人の子供を育てた体験があるので、教師の立場からだけでなく父母の側からも、学校や教壇への感想を述べてみたい。

大学に籍を置く以上、研究者であると同時に教員でもある。どちらにウエイトをかけるかは人様々であろう。いずれにしても教壇には立たねばならない。

講義には、大きな負担と緊張がともなったことは間違いない。近江商人史を含む日本経済史の講義を担当し、一話完結型の講義の積み重ねによって、暗記モノではない、大きな流れを理解できるような歴史を心がけてきた。講義開始のベルが鳴っているのに、ノートの準備が間に合わずに、焦りに焦って夢から覚めることもあった。

近頃は、講義を授業とも呼ぶようになったが、私自身は講義と解釈してきた。自分をふつつか者と心得ながら、教壇に立って講義という義(人の道)を講じる以上、せめて外形なりとも毎回ネクタイを着用することを自分に課した。講義の初回に、軽い吃音と板書の字が汚いことを自分の欠点として明かすと同時に、講義への想いを語り、受講生にもそれなりの受講態度を要求した。

子弟を学校に預ける父母の立場からすれば、礼節をわきまえた、できるだけ人品の優れた先生に託したいと願うのは当然である。東京の都心から少し離れ、滑走路跡という長い桜並木のキャンパスを持つ大学の入学式に、父母として出席したことがある。その時の学長の挨拶は、自校が優れているのは単に自然環境だけではないといったことを、若干のユーモアを交えながら自讃する品の好い祝辞であった。

反対に、公立中学校の授業参観で出くわした光景は、大きなショックをともなった。授業に現れた担任の先生の服装は、家庭着のようなジャージーの上下であり、足はツッカケのまま、教科書は手に丸められていた。この中学校では、毎朝校門で生徒への厳しい服装チェックを行っていたというから、呆れるというも愚かな暗澹たる教育の現場であった。

昨今のスポーツを巡る体罰問題を論じるまでもなく、学びの場において決定的に重要なのは、教師や指導者の姿勢である。万巻の書を読んでも、聖人の書に込められた学問の真意を知らなければ、本当の学問ではないと指摘したのは江戸時代の石田梅岩である。ただ文字ばかりを知り、字面の解釈に通じているだけの学者を“文字芸者”と痛罵した梅岩の指摘は、今なお真実である。
(同志社大学経済学部『父母会会報』102号)

2013年5月31日金曜日

Activities of Ohmi Merchants in the Meiji Era : 1868~1911

It is commonly believed in Japan that although the Ohmi merchants had expanded their markets to a nationwide scale in the Edo Era (1603-1867) that they suffered business declines in modern times (Meiji Era:1868-1911). However this is incorrect because the Ohmi Merchants continued their business vigorously.

Early in the Meiji era, Ohmi merchants were in a defensive struggle to protect their individual properties from revolution during the Meiji Restoration of 1868. Following the deflationary policy(1881-1885) of Minister of Finance Masayoshi Matsukata, Ohmi merchants returned to the offensive in business activity.

The master of Chogin, a famous Ohmi merhant household, made a voyage to England to purchase weaving machines in 1887. At the same period other masters of long-established stores took voyages to Europe and America for business purposes.

The foundation and initial growth of Japanese capitalistic management made it possible for merchants to invest in various fields of industry.

For example, Chogin invested in weaving (Onagigawa weaving company), mining (Hatta mine), railways (Ohmi railway company), banking (Bank of Tokyo), and the export business (Seoul Branch of Chogin). Chogin placed a family member in the board of director of each business he invested in.

In addition, Ohmi merchants generally had been gradually reorganizing their stores from private enterprises to incorporated enterprises to survive in modern times.

2013年5月14日火曜日

近江商人研究40年を振り返って―旅のススメ



旅のススメ

アーモスト大学へ


2012年3月から4月にかけて、約3週間のアメリカ東部への旅に出かけた。第一の任務は、同志社大学とマサチューセッツ州にあるアーモスト大学との学術交流交換教員として「近江商人の三方よし」を講じることであった。

この旅は、任務もさることながら旅自体が初めての土地であったため、とても刺激的であった。3週間を異郷の地で、しかも独りで過ごす体力的な自信がなかったので、万一に備えて介添えのために妻を同伴した。

アーモストは、ボストンから130キロほど内陸にある小さな大学町である。関空からニューヨークのケネディ空港まで直行便で飛んでも、アーモストにたどり着くには、別の空港に移動してローカル便に乗り、さらにバスか乗合タクシーを利用するしかない。そこで、ニューヨークとアーモスト間は往復ともに予約タクシーを使うことにした。かなり大胆な計画である。

広大なケネディ空港で、いかにして予約のタクシーと出会うかが問題であった。幸いにも、「末永教授」、と英語で大きく書いたプラカードを掲げた運転手のお蔭で、すぐに見つけることができた。アーモストの宿舎、ロード・ジェフリー・インまで荷物紛失の危険や積み替えの手間もなく、コネティカット州を経由する3時間半の旅は快適であった。帰路は大学の事務局の斡旋で、ニューヨークのホテルまで直行のタクシーを手配できた。往路のタクシー料金は、チップ込みで500ドルであったが、帰路は同じ旅程なのに299ドルで済んだ。

講演後は、同志社がアーモスト大学へ寄贈した日本庭園「有志園YUSIEN」を見学したり、大学図書館で校祖新島襄の英文真筆にもふれたりした。アーモストの街の人々も、同志社とアーモスト大学との関係を承知していたことは驚きであった。この絆は同志社の強みであり、それを一層強める必要性を痛感した。

 

ニューヨークにて


一週間滞在したニューヨークは、セントラルパークの木々が新芽や若葉の季節を迎えたばかりであり、陽光と活力に満ちていた。ホテルはマンハッタンのダウンタウンにとったので、名所はほとんど徒歩圏内にあった。タイムズスクエア―は深夜近くになっても老若男女、様ざまな人種で沸き立っていたし、ブロードウェーのミュージカルは迫力満点であった。

近江商人の末裔としての日系カナダ移民も研究対象にしている私にとって、特に興味深かったのは、自由の女神の建つリバティーアイランドの隣のエリス島を訪れたことである。エリス島は、移民の島である。ヨーロッパからの移民検問所のあったところであり、今は島全体が博物館になっている。

彼らが故郷を離れるときに持参した大切な物品・旅行鞄、不安と緊張に満ちた上陸直後の写真や検問の様子が展示され、家系作りがブームとなっているという大勢のアメリカ人たちが見入っていた。検問の仕方には、時代相を表して生々しい待遇格差があった。一等と二等の船客の移民に対しては、係官が船まで出向いて便宜を図った。最多数を占める三等船客は、下船して大部屋に収容され、名前を呼ばれるまで辛抱強く待機しなければならなかった。

 

研究生活の実感


旅、特に海外への旅にはいつも効用と刺激がある。内面の気分転換と外面の発見である。旅に出ることによって日常の営為を一時的に断ち切ることは、新鮮な発想への刺激があり、異国の文物に出遭うことは、自国のそれとの対比を考えさせずにはおかない。

40年におよぶ近江商人の研究で、蔵のなかの塵埃にまみれた古文書と取り組んでいた若い時は、それが日系カナダ移民への関心を引き出し、やがて毎夏のヴァンクーヴァ―滞在を恒例とするようになるとは思いもよらなかった。事物や事象は単独で存在しているのではなく、まさに「一坪の土地の歴史」を調べることは広い世界に通じていることを実感する研究生活となった。

現代がいかにデジタル時代とはいえ、テレビやインターネットを通じて見聞するだけでなく、現地と現場の匂いを嗅ぎ、舌で味わい、アナログ的に五感のすべてを活かして初めて得られるもののあることを痛感した。

旅のススメ、これこそ春秋に富む人々への2013年春に退職する私からのはなむけの言葉である。                           

                        (『同経会報』75号、2013年4月)

2013年4月15日月曜日

新聞に掲載されました。「三方よし」企業生き残りのヒント

 

去る2013年4月9日の朝日新聞夕刊の文化欄に、主宰したシンポジュームの紹介記事が掲載されました。

 




2013年4月5日金曜日

Ohmi Merchants-Ohmishonin- and CSR

In Japan,merchants were identified by their places of origin.
   The different place names implied differences in specialization, method, and other characteristics of business. Ohmi merchants, from Shiga prefecture, were well known as peddlers.
  Ohmi merchants first appeared in 13century. From this time they began to trade several goods, forming trade caravan, traveling in Ohmi and the surrounding area.
   In early modern times, the typical Ohmi merchants started out with a stick(tembinbo) balanced on one shoulder supporting a few bundles of goods and traveled all over the country. They handled a wide range of goods, including fabrics, cotton, or linen cloth, mosquito nets, lacquer ware, haberdashery, drugs, and cosmetics.
   The branch stories of Ohmi merchants were located all over Japan, contributing to the increase in the economic and social well-being of many communities.
   The later generations of Ohmi merchants became very successful in business. These successful businesses attracted other young men who dreamed to become wealthy merchants. As such, the Ohmi province produced a lot of merchants over the span of several generations.
   Ohmi merchants were respected for their keen business sense, their unfailing eye for profitable opportunities, and their almost superhuman perseverance. They also devised and practiced methods of management and control that were highly rational even by modern standards.
  One of Ohmi merchant’s mottos was “Sampo Yoshi” which means “business must promote the benefit of the seller, the buyer, and society as a whole”.They were, so to speak, real pioneers in the Japanese managements style and  “Sampo Yoshi” is a one of  the worldwide origin of CSR.

2012年12月8日土曜日

NHKラジオの「ラジオ深夜便」に出演しました。

2012年12月8日(土)の午前4時から、「関西発ラジオ深夜便 明日へのことば」において、「今こそ三方よしの精神を」と題して、40分ほど話しました。

話の内容は、近江商人の三方よしを中心にしたものです。

近江商人を源流とする大企業は総合商社の伊藤忠商事、丸紅のほか、日本生命、ワコール、西川産業(ふとんの西川)、滋賀銀行などであり、繊維や醸造業などの企業は現在も全国に多数展開しています。なぜ一地方の商人が全国に飛躍できたのか?

その秘密は、三方よしの理念をもって商いに励んだことにあります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしは、近江商人だからこそ、この言葉が生まれたといえます。近江商人の商いは他国への行商が中心でした。そのために、出先の人々の信頼を得ることが欠かせなかったのです。つまり自利を遠くに見すえ、相手の利益を考える真摯な姿勢がなければならなかったのです。現在の言葉でいえば顧客満足(CS)であり、人を欺く商品を扱わないことはもとより、営利を直接の目的とせず、薄利を積み重ねて子孫の長久と家業の永続を大切に考えたのです。

日本は世界に冠たる老舗企業の国です。200年以上の社歴のある企業は世界の44%を占め、断然トップであり、その源流は近江商人にあるといえます。近江商人の経営理念は日本の企業経営の基本的な考え方になっています。しかし昨今は、企業活動と関係の深い地球環境の異変や内外で企業不祥事が続発し、企業倫理と企業の社会的責任(CSR)が問われています。企業の存在自体が世のためになっていなければ、その企業に明日はないのであり、これからの企業に求められているのは、まさに現代のCSRに通底した三方よしの精神といるでしょう。

番組担当の中村宏アナウンサーの話の引き出し方の巧みさに、誘われ助けられながら、およそ以上のような内容からスタートして、話を展開しました。

もっと詳しい話を希望される方には、拙著『近江商人 三方よしに学ぶ』(ミネルヴァ書房)があります。ご一読いただければ幸いです。