2012年2月13日月曜日

矢尾喜兵衛の所感(一)倹約とは物の効用を生かすこと





矢尾喜兵衛家の四代目喜兵衛は、三代目の長男です。字は忍之、号を松下堂・恐天舎・天秤坊世渡等と称しました。文化六年(一八〇九)六月二五日の出生。一四歳となった文政五年(一八二二)九月二六日に本宅の近江日野を発って初めて秩父の出店へ出向。初登りは一八歳の秋でした。当主としては天保四年の二五歳から没する当年の安政三年(一八五六)まで店務を総覧しました。

父親の薫陶もあり、手習いのため九歳で寺に入り、やがて石門心学に傾倒していきました。その言動は勤倹謙譲そのものであり、「心学見聞草」・「商主心法 道中独問答草子」・「見聞随筆」・「古今教諭歌」等の心学的処世の書を残しています。その座右の銘の一つは、次のような司馬温公(司馬光)の家訓でした。

  金を積み以て子孫に遺せども、子孫未だ必ずしも能く守らず

  書を積み以て子孫に遺せども、子孫未だ必ずしも能く読まず

  冥々の中に陰徳を積んで、以て子孫長久の計を為すに如かず

 四代目は、ペリー来航の年である嘉永六年(一八五三)秋に記した所感のなかで、物の冥加を知り始末の効用を以下のように語っています。

この天地の間に存在する物は、天の恩恵と地の養育によるものである。決して人力だけで生み出されたものではない。この冥加を知れば、物を使うということは、どんなささやかな物であっても天地から借用するのと同じことである。借り物である以上、粗末に扱ったり損じたりして、物が廃れてしまうことを恐れ慎まなければならない。

天地の間にある物は、どんな品であれ減らないように心懸け、物を愛し、物の効用を尽くし、仮にも無益のことに浪費してしまわないように始末することが大事である。物の本来の役目を果たさせるような使い方をすることは、天地への奉公である。このように心掛ける人を冥加を知る人というのであり、そのためには随分と善心がなければならない。

家内一同が、この冥加を知るようになると、万事が都合よくなり、いつの間にか物が豊かになるものである。これは理詰めに考えたり損得を考えたりしてできることではない。

 四代目は、物を使う場合も、その物の効用が無益になるような使い方を避け、

物の効用を使い尽くすように使用することを始末と捉えていることを知ること

ができるのです。とくに「兎角天地の間に有物は何品にても減らぬように心懸て、物

を愛し用に立べき事には用に立て、其功を顕し、仮にも不益の事に物を費し申

さざるように始末よく、何品にても捨り有ものは拾ひ上げ、何用に成りとも遣

ひ、其品の功を取候様にいたし候事、天地の御奉公と申ものにて候」という表

現には、石門心学の創始者である石田梅岩の語録を想い起こさせるものがあります。














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