2012年2月17日金曜日


矢尾喜兵衛の所感(四)

商家の主人の心構えと子弟教育

                                   末永國紀

近江商人四代目矢尾喜兵衛によって嘉永六年(一八五三)に著された「商主心法 道中独問答寝言」は、文字通り商家の主人の心構えを箇条書き風にまとめたものです。そのなかには、子弟養育に際しての主人の言動や態度についての心得が含まれています。今回は、奉公人を育てるときの主人の振る舞いや、奉公人への接し方、指導について述べられた箇条を拾い上げてみましょう。

 先ず、主人には全店の師表となることがもとめられています。次のような表現です。

 一 主人たる者、家内の者より一割増しの粗食、二割増しの粗服、三割増しの慎み、物の冥加をよく弁え、すたる事を恐れて家内へ示し、薄欲にして心正しく身を軽く、質素にして色欲薄く万事慎み深く、仁恵の心を本として、常に蔭善の志を専要とし、我に心に叶わざる事は天の赦したまわざる事と覚悟し、心に思わざる幸ひ来る事は天の与へたまはる事と拝受し、諸事天に任せ、我意を用ひざる時は、天必ずあしく御(はから)ひなく、順道に守らせたまふらん。

主人は率先して粗衣粗食に甘んじて、慎み、仁恵と陰徳善事の心構えの必要なことが説かれているます。また、倹約を守り、始末して物のすたらないように心がけるのは良いが、そうかといって、すべてを勘定詰めにして簡略にするばかりではこれまた良くない。「商人の身分たりとも、多人数を扶持する身は諸事倹約のなかにも公の心持ある事をよしとするなり」と述べ、多くの奉公人を使う大家の商家の主ともなれば自家のそろばん勘定のみからする倹約ではなく、公という世の中全体から見ての倹約の心持をもつことが必要と述べているのです。そして、身を慎むということにおいては、子孫と手代の目がもっとも怖いものであり、この二つの目を常に意識し恐れていれば、自然に身の慎みになるとも諭し、その上で大家の主人であっても、日課としての勤めは先祖親御への奉公と思って大切にしなければならないと教えています。

 このように主人に率先垂範をもとめながら、子弟教育においては、まず奉公人をまっとうな人間に育てることこそ主人の心得であると、次のように述べています。

 一 商人の主人たる者、他人子を抱え給金賄ひ等出すといへども、これ我が渡世の上なれば尤もいわたり有るべき筈の事なり。我愛子も他人の愛子も親として子の愛かわる事なし、無理非道の事は申すに及ばず、時において辛抱安からずといへども、猶行く末の一大事のみ思ひやり、偏に人の人たる処へ至らしむる事、主人たる人の第一心得なり

 商家の主人が、他家の子供を召抱えて給金や賄を与えるのも生活のためである以上、奉公人を我が子と同じ様に愛し、労わりの心がなければならない。非道の扱いをしないのは当然であり、赦せないようなことがあっても簡単には見捨てずに、辛抱強く人の道を守らせ、一人前に育てることが主人としての心得であるというのです。

さらに、子弟養育の際、その能力や人柄の長短を弁えて指導することの必要なことを「人の才も道具類と同じことにて、不得手の事に用ひその者の不能を責めるは、主人支配人たる者の不明と言ふものなり」と、能力の得手と不得手を把握して育てることの大切さや、「店方において子供を抱へ世話するにも、いたづら気の者と内気の者とその差別をよく考へて仕ふべし」と、人物の性格に応じて接することの重要性も指摘しています。
商家の主人は、率先して範を垂れながら、能力や人柄に差等のある奉公人に、愛情を持って一人前の商人に育て上げることを力説しているのであり、その説くところは、現代においても何等の遜色もない、至極まっとうな子弟教育論といえます。

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