2012年2月12日日曜日

矢尾喜兵衛家の遺言


矢尾喜兵衛家は、滋賀県蒲生郡日野町中在寺の出身です。正徳元年(1711)生れの初代は、同郷の矢野新右衛門家の武蔵国秩父郡下吉田の呉服太物店へ奉公に入り、寛延2年(1749)に別家を認められて、同国秩父の大宮郷で酒造業と卸小売業の店を開きました。店名は枡屋利兵衛と称します。現在は、秩父を代表する矢尾百貨店と酒造業矢尾本店に発展しています。

 この一紙文書は、秩父から日野の本宅に宛てられた明治三年(1870)の「勘定帳」に挟みこまれていました。当時の矢尾家の当主は、二三歳の五代目喜兵衛でした。五代目は安政三年(1856)、八歳で両親に死別したので、父方の叔父治兵衛が後見することになりました。

明治二年に引退し、翌年に没する治兵衛は、手塩にかけて育てた五代目に対して一七カ条からなる「遺言」を書いています。第一条では、国恩を忘れず、奢りを慎み、貪欲を戒め、陰徳を積むことが肝要であると述べています。第二条は、家業を油断なく励み、功績のある奉公人を引き立て、主従は苦楽を共にしなければ、家を失うことになるとの警告です。

第三条では、妻子への愛に溺れず、主従の間に仁義の道の通いあうことを第一の楽しみとせよ、と諭しています。第四条では、先祖の書き残した当主の心得を読めば、ちょっと目には何でもない事柄でも、家業に辛労している者にとっては心に沁みることがあると教えています。

第五条は商家の主人が心学を知らなければ、家の長久は危うく、行動は仁義を離れて、強欲商人になってしまうので、石門心学に心酔していた父親の教えを受継ぎ、修養を積むことを求めています。第六条は、難渋人や病人などのめぐまれない者への施与は、何不自由なく暮らしている者の当然の務めであるとして、決して無慈悲に扱わないようにと諭してあります。

以上が、当主の心構えに触れた箇所です。掲示した一紙文書の内容を現代風に翻刻すると次のようになります。

  毎度ながら申し上げ置き候

勤倹を守り、貧人を憐れみ

家人を愛し、有功を賞し

天命を恐れ、諫を聞き

祖先の恩を忘れず

養生を勤て子孫血脈の

長久を祈るべし

古語の福禄寿を守りて

万善足るべし
一読、「遺言」のなかに書いた当主の心得を、あらためて簡潔にまとめたものであることを知ることができるでしょう。

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